☆☆『アイドルだって恋をするvol.1』プロローグショートストーリー☆☆
本当に僕なんかで務まるのか――。
社長室の重厚な扉の前で、広夢は軽くネクタイを直しながら深い溜息をついた。
芸能事務所『La・Plus(ラプラス)』の名前は知らなくとも、『La・Plus』所属の『EmpReal(エンピリアル)』の名前を知らない人は少ないだろう。
リーダーの来栖陸羽を始めとする、4人組アイドルユニット。あまりテレビを見ない広夢でさえメンバーの顔と名前が合致するぐらい、彼らは今、絶大な人気と知名度を誇っているのだ。
そして広夢は今日から、最年少メンバーである、桐生紅葉の専属マネージャーになることが決まっている。
といっても、マネージャー業が活発になるのは個人仕事が多い時期のみで、ツアー中はグループの総合マネージャーが担当すると聞いている。その期間、広夢はデスクの仕事がメインになると言われたため、それならなんとかなるのではないかと引き受けた。
希望していた職種とは全く違ったが、就職浪人二年目になろうとしていた彼にとって、友人からのこの仕事の紹介は渡りに船だった。
提示された初任給は平均以上で、その分大変なのだろうと覚悟は決めてはいる。
(メンバーたちの詳細や活動内容は頭に叩き込んだし、コミュニケーション能力だって低い方ではない。きっと大丈夫)
自分にそう言い聞かせてから扉をノックし、中からの反応を待つ。
「どうぞー」
思わぬ軽い調子の声が返ってきて、拍子抜けをしながら扉を開ける。
八畳ほどの部屋に、手前に応接セットが一組、黒塗りの大きなデスクの向こうには、薄くあごひげを生やした男性が一人座っていた。きっと、この人が社長だろう。写真で見るよりもずっと若く見える。
「本日よりお世話になります小石川広夢です。どうぞよろしくお願い致します」
就活時の面接で何度もやったように、はきはきとした声で挨拶をして頭を下げると、大きな笑い声が部屋に響き渡った。
「あははっ、うち、そういうの大丈夫だから。外では大事だけど、社内では気楽にしちゃってよ」
そっと身体を起こすと、面白そうな顔で笑う社長と目が合った。どうやら、冗談ではなく本気で言っているようだ。
「は、はい……」
戸惑ってその場に棒立ちになる広夢に向かい、彼が続ける。
「小石川君に担当してもらうのはEmpRealのメンバーの桐生紅葉ね。最近ドラマの出演が増えてきて、そろそろ個人マネージャーをつけようと思ってたとこなのよ。最年少のせいか他のメンバーに甘やかされてちょーっとワガママなところあるけど、うちの稼ぎ頭のひとりだし、根はいい子だからよろしくしてね」
広夢が想像していたとおりの、いかにもな業界人口調で一気に話し終えると、彼は満足そうにデスクに肘をついた。
「わ、わかりました」
ワガママというのがどの程度なのかわからないが、ここは頷く他ない。
「んー、そろそろ来るころなんだけど、レッスンが延びてるのかねえ」
「遅くなってごめーん!!」
語尾を遮る勢いで扉が開き、転がるようにして入ってきたのはひとりの少年だった。
Tシャツにジャージというラフないでたちだが、彼は一目で『特別な存在』だとわかる雰囲気を醸し出していた。小さな顔の中にはめこまれた欠点のない綺麗なパーツ。これがアーモンドアイというのだろうか、大きくややつり上がった瞳はまるで宝石のように輝いている。初めて目の当たりにした『芸能人』の存在感に圧倒され息を飲む。
――間違いない、彼が桐生紅葉だ。
「あれ……ねえ、もしかして……」
きょとんとした顔で彼が呟いた言葉にはっとすると、広夢は再び深く頭を下げた。
「ほ、本日より桐生さんの専属マネージャーとなります小石川です。よろしくお願いします」
なぜか長めの間があった後、紅葉が呟くように言った。
「……ふーん、そっか。あなたが小石川さんなんだ。今日からよろしくね」
顔を上げると、なぜか笑っているような泣いているような複雑な表情をしている紅葉がそこにいた。
(僕のことが気に入らないのだろうか)
そんな心配が脳裏をよぎり、嫌な汗が出て来る。だがそれを打ち消すかのように、紅葉は満面の笑みを見せた。
「うん、よろしくね! 専属マネージャーさんなんて初めてだから楽しみー! 社長、ありがとね!」
(なんだ、いい子じゃないか)
広夢はほっと胸を撫で下ろした。
それからの日々はとても目まぐるしかった。幸い紅葉は夜10時以降は働けないため、深夜に現場に立ち会うことはないものの、彼を家まで送った後はメールの返信や電話対応で追われて休む暇もない。
おまけに紅葉はケータリングにないものを食べたいから他で買ってきてくれだの、送ったついでに部屋の掃除をしてくれだの、蛍光灯が切れたから替えに来てくれなどと言い、まるで広夢を召使か何かと勘違いしているかのように扱った。
けれどまだ子どもと言ってもおかしくない年齢の紅葉が、ドラマ撮影の合間に雑誌やテレビの取材、宣伝のための番組出演というこのハードスケジュールを、愚痴も零さず健気にこなしている姿を見ると、多少のワガママは許してあげなければと思ってしまう広夢がいた。
「では本日の撮影はここまでになります、ありがとうございました!」
スタッフの一声により、役者陣がセットから出ていく。仲間同士で談話する人、黙って携帯を弄る人、差し入れを食べる人それぞれだ。
ディレクターとスケジュールの確認を改めてした後、紅葉の姿を探す。すると彼は隅に置いてあったソファーにもたれ、目を閉じていた。規則正しく動く胸から察するに、本当に眠ってしまっているのだろう。
(お仕事、頑張ってますもんね)
起こすの躊躇い、しばらく紅葉の寝顔を見る。あどけなくて幼さの残る、それでいてとても綺麗な顔。本来なら一生話すことすらなかったであろう存在の彼が、目の前で無防備に眠っている姿を見ているのが自分でも不思議でならなかった。
「ん……」
長いまつげが何度か動き、大きく瞼が開かれる。
「あ……俺、寝ちゃってた。もう帰らないとだよね」
紅葉が立ち上がろうとしたその時だった。
「いたっ……」
軽く顔をしかめ、膝をさすると再びソファーに座り直す。
「どうかしましたか? 怪我でもされましたか?」
見ている限りではそんな様子はなかったが、もしもに備えてこの時間までやってる病院はないかと考える。けれど紅葉はなぜか得意げな顔をして笑った。
「前に、念のため病院で検査してもらったけど異常なかったし、成長痛じゃないかって。俺、中学までチビで、卒業してから一気に6cmも伸びたから。もうすぐ170cmに届くんだ」
そう言った紅葉がいつも以上に可愛らしく見え、思わず広夢の口元にも笑みがこぼれた。
「緩和する方法をまとめておきましょうか? 私も中学の頃結構酷かったので、色々調べたんですよ」
「ううん、大丈夫。最近はほとんど痛みもなくなってきてるから。それよりも、おんぶで楽屋に連れてってよ」
「はい?」
一瞬何を言われているのかわからなくて、笑みを湛えたまま表情が固まる。
「あー、膝いたーい、歩けなーい」
「いえ、でもさっきほとんど痛みはなくなってきていると……」
「やだやだ、歩けないよぅ、このままだとスタジオにお泊まりになっちゃうよぅ」
痛いはずの足をバタバタと上下に動かしながら、紅葉はニヤニヤと広夢を見上げている。こうなってしまった彼への対処法を、まだ広夢は身につけていなかった。
「お、どうした紅葉、怪我でもしたか?」
「ううん、タクシー移動中!」
「…………」
せめて、具合が悪いとでも言って欲しいのに、紅葉は声をかけてくる人に、得意げにそう答えている。紅葉をおんぶすること自体は嫌ではないが、こき使われているように見られるのはさすがに屈辱的だし、人に恥をかかせるような行動は一個人としてどうかと思う。
ここは大人として常識を厳しく教えるべきだと感じ、広夢は強く頷いた。
「はい、到着しましたよ、お代はいりません」
楽屋の扉の前までやってくると、半ば投げやり気味にそう言う。
「ん、ありがと」
やけに素直な返事の後、紅葉はなぜかぎゅっと強く広夢に抱き付き、まるで甘えるように肩に顔を埋めてきた。甘い吐息が首筋にかかり、ぞくっと身体が震える。けれどその震えは決して不快なものではなく、むしろ快感に近いもののように広夢は感じた。
「あの……紅葉さん? どうかしましたか」
胸の高鳴りを誤魔化すかのように、広夢はいつもより固めの声色を作ると、平静を装って尋ねた。
「……よいしょっと!」
ぴょんっと飛び跳ねるようにして広夢の背中から下り、楽屋の扉に手をかけながら、紅葉が振り返る。
「えへへっ、小石川さんとぴたっとしたくておんぶおねだりしちゃった!」
「え……」
「ごめんね、重かったでしょ」
発言の意図はわからないが、そんな泣いているような笑みで言われてしまったら、叱るに叱れなくなってしまう。
「重くはありませんでしたけど、あれはいい行為ではありませんね」
「え……」
広夢は予定よりも優しく、諭すように話し始めた。
「タクシー呼ばわりしたことです。私にもプライドというものがあります。いえ、私以外だって誰でも持っているものです。それを人前で傷つけるような行為は今後は控えて下さいね」
「でも、陸羽もたまに俺のこと持ち上げて、飛行機って言って遊んでるよ?」
その様子が目に浮かんで思わず笑ってしまいそうになったが、それをこらえて続ける。
「来栖さんは仲間なので遊びで済みますよね? けれど私はマネージャーで、周りからは紅葉さんより立場は下に見えているでしょう。そんな人間を道具呼ばわりしたら、みんなどう思いますか? こき使っているように思われませんか?」
「あ……そっか、ごめん。そこまで考えなかった」
本当に悪気はなかったようで、紅葉はしょんぼりと俯くと唇を噛んだ。社長も言っていたとおり、決して悪い子ではない。それは広夢もよくわかっている。
「……俺のこと、嫌いになっちゃった?」
上目遣いにそう尋ねる姿は本当にただの子どもで、広夢は微笑みながら首を横に振った。
「嫌いになんてなりませんよ」
「じゃあ、好き?」
続いた質問のあまりの可愛さにこらえきれずにふき出してしまった後、広夢は大きく頷いた。
「はい、好きですよ。あ、でも、これ以上私を困らせるようなことをしたら、嫌いになってしまうかもしれませんよ?」
「えー、それは困るよ、だって俺小石川さんのこと好きだもん」
「え……」
「好きだから、もっと一緒にいたくて部屋の掃除頼んだり、用事を見つけては家に来てもらってんだよ。気付かなかった?」
担当タレントから言われた『好き』の一言。それはマネージャーにとって、この上ない賛辞だ。色々と大変なことも多いけれど、その一言で、これからもこの仕事をやっていけるという自信がつく。
「ありがとうございます、とても嬉しいです」
素直にお礼を言うと、紅葉は少しむっとした顔で広夢を睨みつけた。
「ねえ、俺の好きって言葉、誤解してるでしょ?」
「は!? いえいえ、そんなまさか。私だって今の好きの意味ぐらいわかってますよ」
「ううん、絶対にわかってない。俺が言ってる好きっていうのは、恋愛感情の方なの!」
「……はい?」
「だから、手を繋ぎたいとか、キスしたいとか、セックスしたいとか、そっちの意味の好きなの!」
「……え??」
「まだわかんない? セッ……」
「うわあっ!!」
勢いよく紅葉の口を片手で覆い、急いで扉を開けて楽屋に飛び込む。確か、周りに人はいなかった、今の会話は聞かれていないはずと、呪文のように自分に言い聞かせた。
広夢は息を整えると、紅葉の顔を見た。
「どうしてあんなこと言うんですか!? さっき、困らせると嫌いになりますって言ったばかりじゃないですか!」
「え……困ってるの? それは、俺のこと嫌いだから?」
「ち、違います! 嫌いだから困ってるんじゃなくて……」
「え、じゃあ、俺のこと好き?」
「それは、好きは好きですけど、そういう意味とは違って……」
「……やっぱり、俺の気持ちが迷惑で困ってるんじゃん」
紅葉の表情がみるみる曇り、うっすらと瞳に涙まで浮かんでいるように見える。広夢は慌てると、次に発するべき言葉を懸命に考えた。
「あ、あの、そもそも、私たち同性同士ですよね? いきなり恋愛感情と言われても頭がおいつかないのですが」
「好きって気持ちに、性別とか関係なくない?」
あまりにも直球でまっとうな意見を返されてしまい、言葉に詰まる。次の言葉が浮かばず口をパクパクさせていると、紅葉がいいことを思いついたように、にっこりと笑った。
「じゃあさ、セックスしてみようか! 俺と出来なかったらすっぱり諦めるし、出来るようだったら付き合おうよ」
「は……え、あ、は? はああああ!?」
自分でもどこから出ているのかわからないような声を広夢は上げていた。
「ねえねえ、俺とセックスしてみよ? ね?」
「あ、あはははは、冗談がすぎますよ紅葉さん」
「冗談じゃないってば。それとも、やっぱり俺のこと嫌い?」
「すっ、好きです……よ?」
「じゃあセックスできる?」
「で……でき……る……の……か……?」
キラキラとした愛らしい瞳で覗き込まれ、まるで魔法にかかったかのように頷いてしまいそうになる。
「い、いや、やっぱりそういうのは、あの、その、冗談で言っていいことじゃありませんよ!? あんまりからかうと、私だって怒りますからね!?」
「からかってないよ、本気だよ。ねえねえ、俺としてみようよー」
(本気なのか? いや、冗談に決まってる、からかわれているんだ。でももし本気だったら自分は彼とセックスが出来るのか? いや待て本気なはずがない、冗談に決まってる。でも……)
思考回路が同じところを延々ループし始め、広夢はすとんっと椅子に腰を下ろすと呟いた。
「えっと……考えてみます」
「ほんと? やったー! 返事決まったら教えてね!」
「は、はい……」
ついそんな約束をしてしまったけれど、どうせこれもいつもの気まぐれ、ワガママ、ただの冗談なのだろう。きっと明日になれば自分が言った言葉でさえ忘れてしまっているはずだ。
広夢は曖昧に笑って立ち上がると、紅葉の帰り支度を手伝い始めた。まさか、この先もずっとこんな日常が待ち受けているとも知らずに。
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