2018年09月05日

『アイドルだって恋をするvol.2』プロローグショートストーリー


 小学校四年生に上がって新しいクラスとなった。
 教室に入るなり、待ち構えていた担任から自分の名札が貼ってある席につくようにと言われる。『浅田』という苗字は大抵前の方の席になってしまうことが嫌なのだが、今回も颯は一番前の席。席替えがあるまでの我慢だが、それでもきっとしばらくはこのまま授業を受けることになるのだろう。ふてくされて頬杖をついていると、後ろからくいっと服の裾を引っ張られた。
「ねえねえ」
 振り返ると、周りの子たちより全体的に色素が薄く、儚くも見える少年が後ろの席に座っていた。柔らかそうな髪、細い顎、人懐っこそうに優しく垂れた目。
 タワーマンションが立ち並ぶ地域の小学校のため、少子化にしては珍しく、学年ごとに五クラスもある。それゆえこれまで一緒のクラスになったことはなかったが、やたら目立つ容姿だったので彼のことは颯も知っていた。
 名前は確か――。
「あのね、僕、天宮日向っていうの。君は?」
 颯が名前を思い出すよりも先に本人が名乗る。あまりの気安さに逆に警戒心を覚えながら、颯は素っ気なく返した。
「……浅田颯」
「そっか、浅田君って言うんだ。すごくかっこいいねえ」
 日向は目尻を一層下げてニコニコと笑っている。髪先を時折指先でいじりながら颯を見つめる瞳は、まるで星空を映したかのようにきらめいていた。
「……あっそ、ありがと」
 妙な気恥ずかしさを覚えると、颯はわざと素っ気なく言い前を向いた。それきり日向が話しかけてこないことが、なぜだか少し淋しかった。


 その週末、母親の車に乗りながら、颯はいつになく浮かれ気分でいた。去年受けた芸能事務所『La・Plus(ラプラス)』の養成所オーディションに合格して晴れてレッスン生となり、レッスン場へと向かう途中だったからだ。
 子どもの頃から身体を動かすことが好きで、テレビの中のアイドルたちのダンスを見ては振り付けを覚えて踊り、いつかは自分もあの中に混ざりたいとずっと思ってきた。
 レッスン場まで車で片道二時間という距離は決して近くなかったが、家族が全力でサポートしてくれることになっている。それだけ重圧も大きいが、今の颯の前には希望しか広がっていなかった。
「あれ……浅田君?」
 レッスン場に入るなり、すぐに声をかけられた。軽く手を振りながら駆け寄って来たのは日向で、颯はわけもわからず頬が熱くなるのを感じていた。
「わあ、偶然! 浅田君もここのオーディション受けてたんだ!」
「う、うん……天宮もなんだな」
「僕はお母さんが応募してくれたの。歌が上手いから、絶対歌手になった方がいいよって言ってくれて」
 ともすれば自慢に聞こえてしまうような台詞も、日向が言うとそうとは聞こえない。そしてその言葉のとおり、彼は同期の誰よりも歌が上手かった。ダンスに関しては平均よりやや劣るものの、それをカバーして有り余る歌唱スキルが備わっていた。
 いずれ日向は確実にデビューするだろう。なぜか颯は嫉妬心よりも先に、まだ友達ともいえないぐらいの仲の日向に、誇らしさまで感じていた。


 それから一ヵ月過ぎるころには、浅田家、天宮家の協力体制が完全に出来上がっていた。同じ方面から通っていることもあり、交互に送迎することで家族への負担も減る。往復四時間の移動を共にすることで二人の仲もすっかり打ち解け、いつしか呼び捨てする間柄になっていた。
「ねえねえ、颯のアイス、ひとくちちょうだい」
 レッスン帰りの車中、買ってもらったアイスをそれぞれ食べていると、日向が顔を近づけてきた。
「……いいけど」
「あーむっ」
 棒のアイスの端を噛み、日向がゆっくりとそれを口の中で溶かす。
「うん、おいしい。はい、僕のもあげるね」
「う、うん……」
 日向の歯型がついた部分を食べようとした瞬間、顔が熱くなってしまい、颯はあえてまだかじられていない部分を食べた。
「……ん、おいしい」
「ねー! やっぱりアイスっておいしいよね」
「……うん」
 答えながら颯は、ドキドキしていることを悟られないように車窓に目を移しながら、日向がかじった自分のアイスを口に入れた。同性の日向に対してこんな気持ちになってしまう自分が、少しだけ怖いとも感じていた。


「んー……ここをこっちとかけて……それでこっちがこうなるから……難しいなあ……」
 レッスンの休憩時間中に算数の宿題をやりながら、日向が顔をしかめる。
 日向は国語や生物、社会といった科目の成績は悪くない。それどころか作文においては、度々賞をもらっているようだ。何度か読ませてもらったことがあるが、誤字や脱字が少々目立つものの、とてもあたたかくて綺麗な文章を書くので感心したのを覚えている。
 それなのになぜか算数だけはまったく出来ないようで、颯からすると信じられないような点数を取っているのをよく見る。突出して苦手科目のない颯からすると、どうしてここまで『数字』というものを理解出来ないのか不思議なぐらいだ。
「ここ、間違えてる。先にこっちを掛け算しないとダメだ」
「あ、そっかー。颯は頭いいなあ」
「……いや、これぐらい普通だから」
 無邪気な笑顔で見つめられ、颯は照れくさくなると俯いた。なぜなのか、日向と話していると時々、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、不思議な感覚に陥ることがある。けれどこれがなんなのか、今の颯にはまだわからないでいた。
「あ、ねえねえ、颯って将来の夢はある?」
 足をブラブラさせながら、呑気な口調で日向が問う。
「え……La・Plusからデビューしてアイドルになりたいけど……」
「そっか! あのね、僕はアイスクリーム屋さんになりたいんだ。食べ物の中で一番アイスが好きだから」
「は……? でも、俺たちアイドル目指してるんだよな?」
「うん、もちろんだよ!」
「じゃあ、なんでアイスクリーム屋さんになりたいんだ?」
「アイスが好きだから!」
 躊躇うことなくはっきりと答える姿があまりにも可愛くて、颯は思わず吹き出してしまうと言った。
「おまえさあ、アイドルになりたくてレッスンしてんじゃないの? なんでアイスクリーム屋が夢なんだよ」
「あ、そっか。じゃあ、アイドルやりながらアイスクリーム屋さんになる」
「あははっ、そのアイスすげー売れそう」
「颯も一緒になろうよ!」
「え……」
「同じ学校に通って、一緒にアイドルになって、一緒にアイスクリーム屋さんになって、それで一緒に住んだら、僕たちずーっとずーっと一緒にいられるよね!」
 しつこいぐらいに続いた『一緒に』の言葉に、颯の心臓が跳ね上がる。くすぐったくて甘酸っぱい気持ちに叫び出したくなるのをこらえると、颯は意味もなく教科書を捲りながら答えた。
「……本当に一緒にデビュー出来たら、その時は考えてやる」
「ほんと!? 約束だよ! 颯、大好き!」
 手をぎゅっと握られて、颯は自分の手のひらにじんわりと汗をかくのを感じていた。その時颯はようやく気付いた、この感情が恋であることに。


 それからの二人は、表向きはずっと『親友』という形を保っていた。切磋琢磨し、同じ夢に向かって突き進む同士として、ライバルとして、仲を深めていった。
 そして中学生になった初めての夏休み、二人は事務所のデビュー候補生六人の中に選ばれ、二週間の合宿に参加することになった。ここで結果を出せれば確実にデビューへの道が開けると言われているため、否が応でも士気が上がる。
 だが、颯にはひとつ心配なことがあった。それは、日向と二週間、二人部屋で過ごすということだ。
 これまで二家族で何度も旅行も行っているし、互いの家に泊まったりもしているが、二人きりというのは初めてだ。変に意識をしないようにと思えば思う程してしまって、日向に自分の気持ちがばれてしまうのが怖かった。
「わーい、颯と一緒にお風呂に入るの久しぶりだね! 去年の旅行以来かな?」
 そんな颯の気持ちなど知らず、合宿初日のお風呂の時間、日向は無邪気にはしゃいでいる。レッスン後のシャワーだって温泉だってプールだって一緒に行っているから日向の身体など見慣れているはずなのに、『二人きり』というキーワードのせいで、どうにも直視出来ない。
 なのに日向は一緒に湯船に浸かりながら、無遠慮に颯の身体を触ってくる。
「ねえ、また筋肉ついた? いいなあ、僕も筋トレ頑張ってるんだけど、なかなかつかないんだよねえ」
 身長はそこまで変わらないのに、日向の身体は颯に比べるとかなり華奢で、どうやら筋肉がつきにくい体質のようだ。本人が悩んでいるので口には出せないが、颯は内心、日向の白くて細い筋肉の少ない身体が好きだと思っていた。
「いいなあ、颯の身体。こういう身体になりたいなあ」
「おい……あんま触るなよ」
「んー、でも……」
 何を考えているのか、日向は真剣な表情で颯の腕や肩、腹回りをペタペタと触っている。さすがの颯も衝動を抑えきれなくなりそうになった時、日向の方がぱっと手を離し、突然背中を向けた。
「ごめん!」
「……どうした?」
「なんでもない、たくさん触っちゃってごめんなさい!」
「日向?」
「僕、先に上がるね!」
 日向は飛び出すようにして湯船から出ると、ろくに身体も拭かないまま浴室から出て行ってしまった。取り残された颯は茫然として、声をかけることすら出来なかった。


 その日の夜だった。なかなか寝付けなくて何度も寝返りを打っていると、隣のベッドからすすり泣くような声が聞こえてきた。
「……日向、どうした?」
 心配になって声をかけると、日向が涙に濡れた顔を布団から出した。
「おい、どうしたんだ。中学生にもなってホームシックか?」
 ベッドから起き上がり、日向の傍へと行く。すると日向は手で涙をぬぐいながら答えた。
「ごめんね颯、本当にごめんね」
「いや、何を謝られてるのかわからないんだけど……」
「あのね、颯の身体触ってたら、なんか変な気分になっちゃって、それで、寝ながらさっきのこと思い出してたら、あのね、そのね……立っちゃったの」
「え……?」
「ごめんね、僕、気持ち悪いよね、本当にごめんね」
 布団に潜ろうとした日向の手を咄嗟に掴む。
「颯……?」
「俺もだから」
「え……」
「俺も、おまえのこと見ると、その……た、立つこと、あるから……」
「ほんと? 颯もなの?」
 日向は嬉しそうな顔になり、起き上がった。
「僕、おかしくない? 気持ち悪くない? 僕のために嘘ついてない?」
「嘘なんてついてない。だって俺、おまえのそれ……さ、触りたいって思ってるし……」
 軋む音と共にベッドに膝をつくと、颯は日向の頬に手を伸ばした。

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アイ恋ジャケ2.jpg
posted by ライムソーダ at 23:23| ショートストーリー